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Staff Blog

更新日:2016.04.03

【ヴィヴァルディのあだ名③】~椿音楽教室~

それでこの「司祭」という言葉は、キリスト教用語辞典によると「品級の秘蹟により、みさを執行し、秘蹟を授与し、説教する等の権能を受けた教役者をいう」とある。
だからアントニオは、ミサを執行するという権能を講師しなかった不思議な司祭であった、というので前期のあだ名となったのである。
15歳で剃髪して僧籍に入った彼は25歳で司祭になった。その間にはもちろんヴァイオリン奏法は学んでいるし、作曲も学んでいる。助司祭から司祭になるまでの3年間はローマに行ってアルカンジェロ・コレリについて、その両方を学んだと推定されている。
1703年に司祭になってから、9月に彼はヴェネツィアの「オスぺダレ・デラ・ピエタ」にヴァイオリン教師として採用された。オスぺダレは病院の意味である。
ヴェネツィアは港町であるので、捨て子や孤児がたくさんいた。市はそういう子どもたちを収容するために、病院の中に孤児院を作っていた。14世紀ごろからすでにあったという。
この孤児院では、音楽の面でははじめ合唱が主であったが、そのうちにとくに才能の有る子供たちには本格的に声楽を教え、器楽も教えるようになった。
やがてそれらの子供たちを演奏者として、日曜日および祭日に、定期的に演奏会を開くオスぺダレが出てきた。とくに有名になったのは4つあり、いずれも女子のみを収容していた。
その一つに「オスぺダレ・デラ・ピエタ」が入っていた。