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Staff Blog

更新日:2016.08.09

モーツァルト 〈鎮魂歌〉

人間1度は死ななければならないとしたらどんな死に方が良いのでしょうか。
ともかく苦しまずに死にたい・・・でしょうか。
ですが、アルピニストが山で遭難したり、役者が舞台で命を落としたりすると本望だったろうなどと言われるように、結局好きなことをしていて死ぬというのが1番いいのかもしれません。
その意味で芸術家などは私たちから見て、最も幸福といえる人たちなのではないでしょうか。
ただし、です、同じ芸術作品といっても、死者のための作品を創作しながら亡くなった、それも自分のために。
となるとこれは幸せどころか不気味ですらありますね。

実はクラシック音楽の世界にそういう珍しい死に方をした作曲家がいます。
それはほかでもないかの天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトです!
35歳という短い生涯に620曲以上もの作品をモーツァルトは書きましたが、絶筆となってしまったのは
[鎮魂ミサ曲]K626です。 これはローマ・カトリックで行われる「死者のためのミサ」用の音楽で、
「入祭文」とか「キリエ」「続唱」「奉献文」といった一定の様式で書かれるようになっており、その出だしが
Requiem・・・・・と歌われるところから、一般に〈レクイエム〉と呼ばれています。
モーツァルトは、このうち第3曲、「続唱」の第6部ラクリモーサ涙の日の第8小節を書いたところで亡くなったのですが、死者のための音楽を書きながら死んでしまったというだけでも不気味なのに、この作品には最初からもっと不思議ないきさつがあるのです。1791年7月のある日、健康を害しながらも最後のオペラ魔笛を完成させようとしていたモーツァルトは鼠色の服をまとった異様な姿の男の訪問を受けます。
その人物は依頼者の名前を尋ねないことを条件に、高額な報酬で〈レクイエム〉の作曲を依頼しました。
モーツァルトは、いつまでという期限がなければということでこれを引き受け、前金の50ダカットを受け取ったのです。
そして〈魔笛〉を完成させた後、その作曲に取り掛かったのですが、そのころ健康状態は日増しに悪くなっていたようです。めまいを起こして倒れることが頻繁になり、ようやく自らの死が近いことを悟ったモーツァルトは、あの日の依頼者が死神の使いであり〈レクイエム〉は自分自身のために歌われるのだと思い始めたといいます。

さてこの続きはまた明日♪