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Staff Blog

更新日:2016.08.06

【リストが影響を与えた人】~椿音楽教室~

前回に続いて、リストが影響を与えた人の紹介です♪

さてリストの後輩でリスト自身が影響を与えた人は無数にいます。
リストは色々な人の面倒をよくみたようです。
しかし一人だけ例外がいました・・・。なんとそれはかのブラームスなのだそうです。
1853年に20歳のブラームスはヨアヒムの紹介状をもって、ヴァイオリニストのレメーニと一緒にワイマールのリストを訪問しました。リストはブラームスのスケルツォとハ長調のソナタを見て、初見で演奏しました。それにブラームスは驚嘆したといいます。 そしてリストのほうはブラームスの作品を称賛したそうです。 良い関係が続いていくかに見えたのですが、間もなくブラームスはリストの元を立ち去ってしまします。それをリストも引き留めはしなかったのだとか・・・。
うまが合わなかったのでしょうか・・・。

リストはほかに、遠い国々の音楽家にも影響を与えています。リストに激励された人たちの中で珍しいひとをあげてみましょう。まずロシアの国民楽派の祖と言われたミハイル・グリンカです。グリンカのオペラ「ルスランとリュドミラ」はプーシキンの原作によったものであり、1842年の12月9日にペテルブルクのボリショイ劇場で初演されました。ところがこれが意外にも不評だったそうです。
リストはしかしこの年の4月にペテルブルクに立ち寄り、グリンカに会ってこの曲を高く評価しました。
初演に先立ってグリンカの曲のスケッチをピアノ曲に編曲し自ら各地の演奏会で演奏したりもしたそうです。

スメタナもリストから影響を受けた一人です。
かれはピアニストとして立とうと思い、大きな抱負をもって国内の演奏旅行に旅立ったのですが、全く無名のスメタナの演奏会に来る人はいなかったそうです。そのため2回演奏会をしただけでプラハに戻ってしまいます。24歳の時の事でした。
その後スメタナは生活のためにも自分で音楽学校を建てようと思い立ちます。そこで、どんなものでしょうかという長文の手紙をリストに当てて書いたのだといいます。当時リストは37歳。この未知の青年からの手紙に対して温かい心のこもった返事をしたそうです。
それに勇気づけられたスメタナは計画を実行に移し、自分の学校を開校。幸いにも生徒は多く集まり生活の安定を得ることが出来たのでした。

音楽以外の芸術家で影響を受けたり与えたりした当時の芸術家の中ではフランス人ではジョルジュ・サンド ヴィクトル・ユゴー ラマルティ―ヌ バルザックといった文筆家や画家のドラクロアといった人がおり、ドイツの詩人では、ハイネ、レルシュタープなどの名前があげられます。