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Staff Blog

更新日:2016.11.19

【スクリャービンという作曲家】 ~椿音楽教室~

こんにちは!
今回はロシアの作曲家、スクリャービンに焦点を当てて書いていこうと思っています。最後までお読みいただければ嬉しいです!
皆さんはスクリャービンについてどんなイメージをお持ちですか??「なんだか不思議な曲を書く作曲家」だったり「色彩感あふれる曲を書くロシアのドビュッシー的な存在??」など様々ではないでしょうか。しかし、どんな人にも共通しているスクリャービンに対するイメージ。それは「摩訶不思議」という感覚でしょう。スクリャービンとは一体どんな人だったのでしょうか。一緒に見ていきましょう!
スクリャービンは1872年にロシア帝国のモスクワで生まれました。彼は幼少期から即興演奏の得意な少年で、このことはスクリャービンの作曲した楽曲すべてがもつ即興的な雰囲気に通じますね!
かれはモスクワ音楽院に入学しました。そこで彼と同期の学生として出会ったのが、あのセルゲイ・ラフマニノフです!ラフマニノフとスクリャービンが同学年にいるなんて、想像しただけでわくわくしますね!実は最初のころはラフマニノフは作曲家として、スクリャービンはピアニストとして将来を嘱望されていました。ところが実際の卒業試験ではラフマニノフが一番の成績でスクリャービンは二番手でした。しかし、その卒業試験の模様を生で観たかったものです。おそらく、学生というレベルをはるかに超え、偉大な芸術家の片鱗が見える二人の演奏は、卒業試験のほかの学生たちの演奏に混ざると、余計に際立って素晴らしく聴こえたことでしょう!
スクリャービンの曲を弾いたことがある人なら知っていると思いますが、彼の曲って左手が異常に難しくありませんか??それにも実は理由があるんです。
彼の同級生でラフマニノフのほかにジョゼフ・レヴィーンという、これまた化け物級のピアニストがいました。彼と超絶技巧を競っていたスクリャービンは、長年の酷使の結果右手を痛めてしまったのです。その右手をかばいながら、左手のテクニックは極端にレベルが高くなり、それが結果として彼の曲の左手の難しさに表れているのです。
スクリャービンはのちにニーチェや神秘思想に傾倒していき、その曲想もどんどん抽象的に、カオスをも感じさせるものに変化していきました。彼の後期しか聞いていない人は、初期の曲とのあまりの変わりようにびっくりするのではないでしょうか。
スクリャービンの演奏で有名なのはなんといっても、ウラディミール・ソフロニツキーでしょう。かれの演奏はスクリャービンの世界観に近づく大きな手助けとなってくれます。
神秘主義で名をはせたスクリャービン。皆さんもあらためて聴いてみてはいかがでしょうか。