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Staff Blog

更新日:2016.12.15

【ラフマニノフという作曲家】 ~椿音楽教室~

こんにちは!
今回はロシアの大ピアニストにして作曲家のラフマニノフについて書いていこうと思っています!最後までお読みいただけると嬉しいです!
ラフマニノフという名前をきいて皆さんが思い出すのは作曲家としての彼だと思います。彼のピアノ協奏曲第二番は、いまや音楽をやっていない人でも知っているくらい多くの人に親しまれています。しかしかれには作曲家としての一面以外にピアニストとしての顔を持っていました。
ラフマニノフは1873年にロシア帝国のノヴゴロド州というところで生まれました。モスクワ音楽院に入学した彼は、なんとあのスクリャービンと同期になり、互いに切磋琢磨したそうです。卒業試験ではラフマニノフがトップとなり、かれはピアニストとして将来を嘱望されるようになりました。ちなみにラフマニノフはモスクワ音楽院の作曲科にも在籍しており、そちらでも首席で卒業しています。
彼の曲の特徴を語るにはとにかくチャイコフスキーの影響をはずすことはできません。あの有名なピアノコンチェルト二番もその他の曲も、ラフマニノフの作品はほとんどチャイコフスキーの影響を受けているといっても過言ではないでしょう。
これだけ順風満帆な人生を送ってきたように見えるラフマニノフですが、じつはとてつもない挫折を人生で味わっています。かれが、交響曲第一番を作曲し初演した演奏会が、大失敗に終わってしまったのです。この結果ラフマニノフは精神を病むことになってしまいました。それから、周りの友人たちはこの偉大な才能を消してはならないと、さまざまな励ましを与え続けます。偉大な作家であったチェーホフやトルストイと会見させ、ラフマニノフのインスピレーションを再び蘇らせようとしました。そして、ついにその時がやってきます。それは精神科医のニコライ・ダーリとの出会いでした。彼はラフマニノフに対して徹底的な暗示療法を行いました。その結果ラフマニノフはインスピレーションを取り戻し、ロシア音楽界に再び舞い戻ることができました。その時に作られた曲があの、「ピアノ協奏曲第2番」だったのです!あの曲の持つエネルギーの大きさや感動的な旋律のパワーも、この逸話を聞けば納得しますね!
ちなみにラフマニノフは手が異常にでかく、そのことが今日ラフマニノフを弾きたいと思っているほとんどのピアニストを苦しめています。一説にはマルファン症候群という病気から来るものだといわれていますが、どちらにしても大きな手はピアニストにとっては、羨ましいものです。
偉大な作曲家であり名ピアニストであったラフマニノフ。彼の作品にぜひ皆さん、チャレンジしてみてください!!