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Staff Blog

更新日:2016.04.05

【ヴィヴァルディ⑤】~椿音楽教室~

しかしかれの人気はもう戻らなかった。それから2年たった1739年の8月29日にフランスの音楽評論家シャルル・ド・ブローズはヴェネツィアから友人にあてて次のような手紙を書いている。「私が大変に驚いたのは、ヴィヴァルディが当地では彼がそれに値するほどには評価されていないことです。ここではなんでも流行を追っていますので、彼の音楽はずいぶん長い間聞いていなかったためでしょう、前の年の曲はもうまったく収入にはならないのです・・・」
ヴィヴァルディはついにその翌年、ヴェネツィアを去る。そしてその翌年すなわち1741年の7月28日に、ウィーンの救貧院の墓地に葬られた。当時の習慣によれば葬儀は死後1日か2日におこなわれているから、死亡日は26日か27日になるわけである。馬具師の家で内職の壊疽のために死んだのであった。
1956年に、ストラヴィンスキーは、アメリカの指揮者ロバート・クラフトと行った対話の中で「あなたは一般に広まってきた18世紀のイタリアの作曲家たちの復活に興味をお持ちですか?」という問いに対してこう答えている。
「特別にありません。ヴィヴァルディは大変に買いかぶられています。彼は退屈な人間です。同じ協奏曲を600回も続けて作曲することが出来たのですから・・・」